老いと人間関係
いつまで経っても難しい。
まだ、63そこそこなのに、最近、身体の自由度が落ちてきていて、この先が心配になることがある。
特に、床からの立ち上がり動作やしゃがむことが、かつてのようには出来ず、困ることが多い。
身体の衰えもそうなのだが、最近は職場での人間関係に、この歳になってっも悩むというか、あきれたり腹が立ったりすることが多くなってきた。
まあ、アドラーに言わせれば、悩み事は全て人間関係にあるらしいから当たり前かもしれないが。
あっ、正確には「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」という事だそうだ。
無論、いわゆるジェネレーションギャップによる行き違いはある。
でも、これは話せば双方とも納得できることなので、悩みごとにはならない。
では、どんなことがあるかというと、非礼な振る舞いとか、自分勝手な思い込みによる行動とか、何だか知らないけど何でもかんでも自分への攻撃と捉えてつっかってくるとか、とにかく疲れる。
まあ、職場では、一番の年寄りだし、表だって何も仕事らしい仕事もしていないし、馬鹿にされているというか、邪魔者扱いなのかもしれない。
されたことを、若い同僚に話すと、気を使ってくれているのかもしれないが、たいていおっさんに対して何かしでかした人がおかしいと言ってくれるので、おっさんの感じ方に問題であるとはにわかには思えない状況だ。
じゃあ、何でって考えると、対人関係におけるコミュニケーションに難がある人が増えたかもしれないとの認識に至った。
目を合わせないとか、相手のその時の状況を考えない行動とか、事実に基づかない思い込みだけの文書とか、仕事が滞っているから、ちょっとアドバイスしたら、烈火のごとく怒って攻撃してくるのに、結局その仕事を完成できないとかetc 枚挙に暇が無い。
それと、人の事はいえないのかもしれないだが、MCI(軽度認知障害)と思われる同僚もいる。
ところが、上役達が、とにかく事なかれ主義で特に手を打たない。
へたに、かかわるとパワハラや人権問題になる可能性が出てくるので分からない訳では無い。
実際、アレって思う人達が、全員受診して診断して貰っても、ひょっとしたらグレーゾーンで診断名が付かない可能性もある。
おっさんが言いたいのは、いろいろな状況にある人を排除したいわけでは無く、共存したいが為に、立ち位置みたいなモノがはっきりすれば良いのにという思いだ。
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診断名が付く付かないかにかかわらず、グレさんであったとしても、自分の感じている困難さを教えてくれれば、お互い嫌な思いをしないと思うのだが。
ちょうど今、 日本テレビドラマで『恋です!?ヤンキー君と白杖ガール 』というのをやっているのだが、主人公の弱視女の子がハンバーガーショップで働くにあたり、困難さを伝える事で、無用なトラブルが無く、しかも場合よっては、彼女の困難さを解消することによって、弱視で無いスタッフの仕事の効率も上がるというシーンがあった。
おっさんの考えるところは、まさにこんな感じなんだが、ただの理想論なんだろうか?
それとも、おっさんがおかしいのでは無いと言ってくれているのは、ただの気遣いで、おっさんが加齢と共に、頑固で意固地になって、なんでも自分への嫌がらせや攻撃と感じているのだろうか?
『目を開けて、もっと私を見て』という手紙を思い出した。
是非、手紙を読んで欲しい。
おっさん、何の迷いも無く、今が幸せであるといえる。
変な言い方だが、いつ死ぬことになっても、現世に未練無く逝ける気がしている。
でも、老いはやっぱり辛い? うん、ちょっと違う 残念 な事が多いかもしれない。
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アクセルの踏み間違いや、道路の逆走、こんな事にはなりたくない。
でも、一方で確実に、運転が下手になってきている。
最近になって、はっきり認知できた。
周囲の認知が遅くなった。反応も遅くなった。判断も遅くなった。車が、まっすぐに止められない。(これは、意識することで解消)
周りかみたら、手紙の老人のように、何も出来なくて迷惑な年寄りになっているのかも知れない。
うん、そうだ、老いは恐い。