老いを考える-2018/01版

歳を取ったなと感じるおっさんの嘆き

全に、備忘録というか、老いをどう捉えるかの変化を自分自身で知りたいと思い書きます。お読み頂く方は、そのおつもりで悪しからず。

40歳過ぎた頃、大好きな桜の花が散りゆくのを見て、これまで何回この情景を見たのかなって思ったとき、逆に後何回この情景を見られるのかを考えた事がありました。その時、ハッとしたのです。何故ならおそらく桜が散る情景を見ることが出来る回数の半ばを過ぎていたからです。そう、今まで見てきた数と同じ回数を見ることが出来ない容赦ない事実を突きつけられました。

いそのものは、30半ばの時に腕時計の曜日が読みづらくなって老眼に気づいたのが始まりです。明るさがこんなにも見え方に影響するのかと自分でもビックリしました。その後どんどん悪化し、趣味の釣りで使う針とテグスをうまく結束できない事態になり、釣りそのものを止めてしまいました。

については、どんどん出来ないことが増加中で、車のちょっとした整備さえ老眼鏡が必要になってきてしまっています。多分、テレビ等を見る時の音量も上がっているのかも知れません。当然、自分では気づきませんが・・・


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が見えづらくなるとどうなるのか、色々なことが億劫になり活動量も活動の質も下がってきます。おっさんは、このことが分かっているのでアンチエイジングの一環として、新たに家庭菜園始めたり筋トレ始めたりしているわけです。新しい事を始めるだけでも、脳に刺激になりますし。

は、老いはいけないこと、ダメなこと、残念な事なのか? 確かに若いときの自分と比べるとマイナスの面だけ前面に出てきます。でも、物事は考えよう。目が見えづらくなったら、必死になって何かをしようにも出来ないのですから、自然とほどほどになります。このほどほどが、身体にも精神にも重要だなと体感しています。何かを失うことが、必ずしも人生にとってのマイナスになるとは限らない。逆に、失うことによって人間に深みが出て、その後の人生の選択にもいい影響がある気がしてなりません。


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た、死ぬのはもちろん嫌ですし死にたくもありませんが、死そのものに対する恐怖は徐々に無くなってきています。すべてのヒトは、いわば死に向かって人生を送っているのですが、普段はそんな事は全く考えません。でも、おっさんの場合は齢を重ねてるにつれ、そういったことも考えるようになりましたし、沢山のヒトを送っていく中で、だんだんと仏教とも仲良しになり、その教えの深遠さに驚嘆したりしています。

あ、それでもおっさん自身の死は20年位は先なのかなと高を括っています。これがだんだん少なくなってくると心境がどう変化するのか興味部深いです。


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めるとは、本来明らかにするということらしいので、齢を重ねると物事の真理に気づき泰然自若とできるのかも知れません。出来たらいいな、出来るのかな、アレレ不安だ?










 

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