老いを考える-「老年的超越」2018/2 版

衰えても幸せ!!

いると言うことは、まさに衰えることであり、何かを無くすことであり、出来ることが減ってくることを意味する。今現在のおっさんからすると、それらは全て恐怖以外の何物でも無い。しかし、70歳80歳90歳の方計2200人に、大阪大学の権藤恭之准教授が調査したところ、当たり前だが年齢が高いほど運動機能や認知機能は低かったにもかかわらず、『幸せな感覚』の度合いは、高齢の方ほど高い傾向になった。これを、一体どう考えれば良いのか?


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もそも「幸せ」なんて、10人いれば10通りの幸せがあるわけで、定量化出来るわけでは無い。しかし、先ほどの事実は、中身は問わず前よりも歳を取ってからの方が「幸せ」と感じている人が多くなるということで、にわかには信じがたい。もっとも、幸せに関する各種統計や施策は、定量化できない以上どうにでも解釈できる物になってしまいがちなのかも知れない。そういえば『福祉』という言葉の漢字の意味は、福』『祉』とも幸せって意味で、じゃあ具体的に何なんだよって言うと、学者さんは『普段の暮らしのしあわせ』なんておっしゃる。これはこれで解るけど、やっぱり「幸せ」を定量化できるわけでは無い。

ころで、100歳以上の長生きをされている方に、長生きの秘訣を聞くと「笑っていること。起こることなど、殆ど無い。」という答えが返ってくることがあるそうだ。笑っていること-これはきっと「幸せ」な状態だと思う。じゃあ、やっぱり何で「怒ること無くわらっていられる」んだろう?


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れに対する一つの回答が、今回のタイトルにあるスウェーデンの社会学者が唱えた『老年的超越』なるものであるそうだ。これは、高齢期に高まるとされる物質主義的ないし合理的な世界観から、宇宙的ないし超越的な世界観に変化することをさすらしい。具体的には、自分は例えば宇宙という大きな存在につながっていることを意識し、死への恐怖が薄らぎ他者を尊重する気持ちが高まっていることのようだ。外出もままならないようになり、友人たちや身内にも先立たれ、一人でポツネンと生活していてもあまり孤独を感じること無く、成功や達成感という価値から解放された穏やかな幸福感なのだそうだ。だから、たとえ寝たきりになってベッドで暮らしているヒトに心境を訪ねると、「昔を回想するだけで楽しい」-幸せと答える人がいるそうな。


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はや、へーっていうしか無い。おっさんは、まだまだそんな境地には無い。でも、今幸せですかと聞かれたら、間髪入れず幸せですと答える。たとえ、妻に先立たれ、ダウン症の次男と生活し、借金だらけでも。

間の心って、本当に不思議。心身共に衰えてどんどん出来ないことが増えていって、うわーってならないように、自然と心が変化していくらしい。それと、面白いのは性格や健康状態・生活環境にあまり関わりなく、ただ歳を取るという条件のみで、『老年的超越』状態に到達するらしい。ただ、老いて衰えることを不幸と捉えて、いつまでも「自立」にこだわるヒトは、『老年的超越』とはなりづらいともいえるとのこと。

っさん、思いました。『老年的超越』状態って、ある意味極楽浄土じゃあ無いのかと。怒ること無く、いつも笑っていられる。宇宙とつながるって感覚は、仏教的に言えば、大日如来の一部であると感じているということ。つまり、悟りを開いて覚者-仏陀になったということ。一切の煩悩から解脱し、涅槃寂静の境地に居るということ。やっぱ、人間て凄いね。こんな風に考えれるのなら、老いも衰えも悪くない。そうか、衰えると言うことは、四苦八苦の一つ五蘊盛苦から解放されると言うこと。「枯れる」ことなんですね。

いていて、何か自分が救われた気がしてきました。おっさん、頭でっかちで、理論みたいな物が生きる上での縁(よすが)みたいです。まだまだ、宇宙との一体感には時間がかかりそうです。



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